モーゼル砂丘の会談から、更にアーリグリフに向かう途中。
アリアスの領主屋敷の一室で、私はまどろんで居た。




纏わりつく様な眠気に襲われながら、過ぎる。

幼い頃の、記憶。







そのときの自分には珍しいものばかりで、
こっそりと借家を抜け出しては、色んな場所を散策してまわった。

土と錆の匂い。
煙が絶えず上がり、空は少し暗かった。


父に連れられて、訪れた場所。

鉱山の町カルサア-------



「ここでは、施術を使ってはいけないよ」

私の生まれた国、シーハーツは、
この町を含む軍事国アーリグリフとはぎこちない関係にあった。

お互いがお互いの気の緩みを待っている、そんな状態。

シーハーツの人間だと知れたら危ない。

父に言い含められ、私はその言いつけを守っていた。








カルサアには、ひときわ大きな屋敷があった。
兵士達が立ち並び、鉄格子にも似た大きな門に阻まれている。
毎日のように訪れても、覗き込むことしか出来なかった。



一度だけ、私と同じくらいの子供がいるのが見えた。

兵士相手に何かを怒鳴っている。
稽古でもしていたのか、その手には剣。

怒号に気づいて降りてきた老人に髪を撫で付けられて、
押し黙った姿をよく覚えている。

真っ赤な瞳をしていた。




この町には子供がいなかったから、
「彼」と話してみたくて何度も屋敷へ足を向けた。

でも、暫くは見ることもなくて---
兵士に顔を覚えられた頃。


「小僧、またあの洞窟に行ったらしいぞ」
「ウォルター様に咎められる前に、探しに行くか」

兵士同士の会話から、なんとなく「彼」なのではないかと思った。
洞窟…?
のろのろと歩き出す、兵士の後ろについていく。
この町には坑道があるから、そこなんだろうか。
でも、兵士達の向かった先は違っていた。
階段を降りた先にある、小さな洞窟。
陽は差しているのに、その中だけまるで空間が切れているように光が入らない。


足が進まなかった。
ぬるりとした、淀んだ空気が漏れ出ている。


恐ろしいものが潜んでいそうで、怖かった。

「彼」は何の目的があって、こんなところへ入ったんだろう。

ランタンを持ち、慣れた動作で洞窟の中へ向かう兵士を見送って。
入り口を望む場所で膝を抱えた。


戻ってくるのを待とう。




そのまま、どのくらいの時間が経っただろう。
陽は傾いて、影は長く伸びている。
茜色に染まる空気には、夜の肌寒さが混じっていた。


暗がりを覗き込む。
このまま呑み込まれてもおかしくない、そんな漆黒の闇。
揺らめきかける足元を正し、岩肌にもたれる。


微かに、引きずるような音が聞こえた。
だんだん近づいてくる。
そして、苦しげな息遣い。
漆黒から這い出てきたのは、赤い瞳の少年。

顔を綻ばせたのは束の間だった。





「彼」は、酷い傷を負っていた。





見慣れた門の前まで、必死で彼を運んだ。
兵士達が戻ってくる宛てはなかったから。

たすけて。

声を張り上げる。
演習中の兵士の一人が、気づいて門を開いた。



血まみれで運ばれていくのを、私は見守るしかなかった。
施術は、使えない。
---使っては、いけない。



どうして?
施術なら、治してあげられるのに。






いつもの散策もせずに、ただ部屋でぼうっとするだけの日が続いた。


私の手に流れた、あの赤い血。
洗い流しても、焼きついて離れない。

固いベッドから飛び降りると、意を決して屋敷に向かう。
無事かどうかだけでも聞ければいい。





空は曇っていて、町は静かだった。
兵士は相変わらず立ち並んでいたが、門は開いていた。

話しかけると、若い兵士は親切にも中に取り次いでくれると申し出た。
よく見れば、助けを求める声に気づいてくれた人だった。

サイズの合わない甲冑によろめきながらも、小走りで屋敷へ向かう後ろについていく。
玄関もやはり大きく、見上げなければならなかった。



「彼」の頭を撫でていた、あの老人が出迎えてくれた。


「こっちじゃよ」

屋敷のニ階。
豪奢な敷物は、町特有の泥と煤で薄汚れている。
端の部屋へと案内され、ゆっくりと扉を開く。


「アルベル」


アルベル、というの。
老人の後ろについて入ると、
だん、と頭上に響く音。


「何の用だ、ジジイ」


押し殺した様な声。
ぱらぱらと落ちてくる壁を払いながら、老人は言った。

「客人じゃ」


物騒な出迎えですまんの。
私は首を振って、歩み出す。


「客…?」


怪訝そうな表情。
私が一方的に探していたのだから。
顔をあわせて話すのは、初めて。


「…はじめ、まして」

「誰だ、てめぇ」

「…」

「お前の命の恩人じゃ、そう邪険にするな」

剥き出しの敵意に怯んでいると、老人が助け船を出してくれた。

「…フン」

彼を見やる。
幾重にも巻かれた包帯は、暫く取れそうにない。





「アルベルはの、強くなりたいと言ってはあの洞窟に行くんじゃ」
「あの洞窟には、何かがあるの?」
「本来は封じられておる場所でな。
 この周辺の魔物どもとは比べ物にならん怪物が潜んでおる」
「…」





強くなりたい、その言葉の裏には。
誰にも心を許せない。
孤独が尖っているようにも思えた。


「また見舞いにきてやってくれんか」
老人は言った。

私は小さく頷いた。

彼の孤独を拭ってあげられるかも知れない。






それから、週に一度。
屋敷を訪れては、少しだけアルベルと話した。


洞窟の中はどんな風になっているの。

魔物がうようよしてやがる。それだけだ。



家族のことを尋ねたときもあった。
途端に不機嫌な顔になってしまって、居たたまれずにいると。

「どうじゃ、少し外の空気を吸いに行かんか」

冷えた空気を割るように、老人が訪れて助けてくれた。



傷痕は残っているものの、すべての包帯が取れた頃。

いつものように訪れた部屋に、アルベルの姿はなかった。


また洞窟に向かったのか。


折り悪くこの屋敷の主人は不在。
頭を抱える兵士達を置いて、私は走った。


洞窟の前の階段にようやくその姿を認め、駆け寄る。

また行くの?

そうだ。

もっと酷い怪我をするかも知れないのに?

うるせぇ。
それでもだ。

縋る様に引き止める手を払われ、私は言葉をなくして俯いた。
目の前の影は躊躇する事無く進んでいく。






「ここまで戻ってくりゃあ、テメェが助けてくれるんだろう」


顔を上げると、彼は闇に踏み出した後だった。


臆病な私は、未知の怪物が潜む洞窟の中へは進めずに居た。
でも、さっきの言葉。
彼は、どんなことがあってもここまでは戻ってくる気なのだろう。


西日が目に刺さる。
眩まぬ様にと手を翳して、火照る頬を叩く。
溶け出るように暗闇から戻ってきた彼は、いたるところ細かい傷だらけだった。

浅い傷から滲んでいる血に、以前の怪我が呼び起こされる。
私は彼の腕を掴んで、印を描いた。


じっとしてて。今、治すから。


指先から溢れた光彩が、熱を持って傷跡を覆い隠す。
綺麗に傷跡は消えていた。


「テメェ…」
「前に君が大怪我をしたときにも、こうやって治してあげたかった」
「…」
「戻ろう。きっと、お屋敷の皆が心配してる」


食料品店の前で別れ、私は借家に戻った。
いつもは遅い父が、今日は早く戻ってきていた。

「シーハーツとアーリグリフの状態は芳しくない。
 …そろそろ本格的な戦争になりそうだ」

任務期間はもうすぐ終る。
そうしたら、シーハーツへ帰ろう。

父の言葉に、嫌な胸騒ぎがした。



カルサアを出る前に、アルベルと話しておこう。
屋敷に向かうと、厳重な警備とともに、門は閉じていた。


「ごめんよ、もう通すことは出来ないんだ。
 先だって、シーハーツとの戦争が始まってね…」

物騒になってきたから、もうあまり外へは出ないほうがいい。

若い兵士は言った。


私は、頷いて踵を返した。

心の中では、分かりたくなかった。




戦争になったら、あの兵隊さんも、
シーハーツの人を殺すんだろうか。





駆け出していた。
そのまま、借家のベッドに潜り込む。

悲しかった。



生まれた国が違うだけ。

なのに。

なのに。

どうして







国と国との争いが、人を変えてしまう。








父と私は、ひっそりとカルサアを出た。
町に溢れる煙は、兵器を作り出すためのもの。





シーハーツでも、着々と戦争の準備がなされていた。











まどろみから覚めて、起き上がる。
冷えた窓に頬を寄せると、ガラスは白く曇った。




アーリグリフ屈指の軍隊「漆黒」の隊長となった彼とは、ニ度程剣を交えている。
今も、強さのみを求めて生きているんだろう。





アイツは覚えていないと思う。

私も言うつもりはない。



明日、三度目の再会を果たす。



fin.

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